友好の橋 2007.03

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2006 年から日本と各国との友好秘話を取り上げ、
先人たちが築いてきた「相互信頼」の足跡を紹介してきました。
「感動して何度も読み返した」「涙が止まらなかった」
そんな読者の声の中から・・・心に残る、語り継ぎたい物語をご紹介していきます。
今回は、2007年3月号の『友好の橋』です。

スリランカ民主社会主義共和国
Democratic Socialist Republic of Sri Lanka

対日賠償請求権を放棄した戦後の「日本独立の恩人」

対日講和会議でセイロン政府代表は「憎しみは憎しみによってやまず、愛によってのみやむ」と日本を擁護した。
 
 第二次世界大戦後の日本は、本州はじめ全土が連合国に分割統治される恐れがありました。独立後の日本が大国になり、再び軍国主義が台頭すると、アジアの脅威になると考えられたからです。
 1951年のサンフランシスコ対日講和会議では、日本に対する巨額の戦争賠償と、ソ連などが要求する分割統治案が討議されました。会議の流れを変えたのが、セイロン(現スリランカ)政府代表のジャヤワルダナ蔵相(後の初代大統領)の演説です。

 同氏は「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本こそが必要である」と強調し、分割統治案に反対しました。また、ブッダの教えから「憎しみは憎しみによってやまず、愛によってのみやむ」として、対日賠償請求権の放棄を宣言し、各国にも同意を呼びかけたのです。インド、ラオス、カンボジアなどがこれに続きました。

 戦時中、英連邦自治領だったセイロンは42年に日本の空爆を受けました。それにもかかわらず、賠償を放棄したことはまさに仏陀の説く慈愛の実践であり、多くの参加者に感銘を与えたのです。
Image ジャヤワルダナ氏は「日本独立の恩人」として、鎌倉の大仏がある高徳院と東京・八王子市の雲龍寺、長野の善光寺に銅像が建てられています。

内戦に苦しむスリランカ

 紅茶と宝石の産地として知られ、インド洋に浮かぶ「東洋の真珠」といわれるスリランカは熱心な仏教国です。歴史的な親日国で、国連では日本の安保理常任理事国入りに応援してくれています。

 しかし、戦後は長年にわたって紛争が続き、6万5千人の死者と80万人の国内難民が出たと言われています。さらに、2004年のインド洋大津波で深刻な被害を受け、多くの人々が生命の危機に瀕しています。

 複雑極まりない状況にあるスリランカの復興支援のため、03年、東京で復興支援国際会議が開催されました。出席した51カ国と22の国際機関が4年で総額45億ドル(約5400億円)という巨額の復興資金の拠出を決定しました。そのうち日本は10億ドルの援助を約束しています。

 96年に亡くなったジャヤワルダナ大統領は、自らの角膜を「片方はスリランカ国民に、片方は日本国民に」提供してほしいとの遺言を残していました。実際に片方の角膜は日本に届けられ、新潟県の人に移植されたそうです。

 私たちは、ジャヤワルダナ氏の慈愛と正義の行いに心からの感謝をささげるとともに、日本がその精神を受け継ぎ、平和を築く国になるよう努めていきたいものです。

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