時代に咲いた花 2021.02

矢嶋揖子(下)
女子学院院長として優れた女性を世に出す一方
矯風会運動を主導し、女性の地位向上に努めた


 明治6(1873)年に江戸時代から続いていたキリスト教禁令が廃止されると、宣教師たちの手により複数のミッションスクールが誕生し、日本の女子教育も胎動期を迎えました。その一つ、築地新栄町にあった新栄女学校の教師に請われたのは、揖子にとって青天の霹靂でした。

 アメリカ人宣教師のメアリー・ツル―校長は「日本の女子教育はあくまで日本婦人の手で行われるべき」と考えていました。そこで、教師を務めて5年、評判もよく、父兄や生徒の信頼も厚い揖子に白羽の矢を立てたのです。

 新栄女学校には日本人の教師も多く奉職していましたが、揖子は英語も話せなければ、キリスト教徒でもありません。そんな自分に務まるだろうかと躊躇しましたが、深い悩みの淵にあった彼女は、そこに求めるものがあると感じでいました。

 ミセス・ツルーも揖子の小さな体に漲るエネルギーと志を見たのでしょう。明治11(1878)年、初めての顔合わせで就任を引き受け、数日後、机一つと夜具、わずかばかりの身の回りの品を寄宿舎に運び入れ、未知の世界へ飛び込んだのです。

 ※詳細は2021年2月号本誌にて。

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