時代に咲いた花 2021.05

神谷美恵子(上)
ハンセン病者の衝撃、若き日の結核の闘病生活
真摯に「生」と向き合い自ら進むべき道を発見


 人間がいきいきと生きていくために、生きがいほど必要なものはない――「生きがいとは何か」を思索し、類まれなる知性と強い使命感で、ハンセン病者の苦渋に心を一途に寄せた精神科医・神谷美恵子。ひとりの女性として、さらに医師、教師、作家、翻訳家として、真摯に「生」と向き合い続けたその生涯には、多くの苦難と生きる喜びがありました。

 美恵子は大正3(1914)年1月12日、前田多門・房子の第二子として父の赴任先の岡山で生まれます。
 父・多門は多事多難の人で、内務省の役人として各地方庁に勤務し、美恵子が生まれた翌年に本省勤務となって一家して東京へ転居。その後、東京市長・後藤新平に招かれ、助役として社会事業に情熱を注ぎます。

 夫を内助の功で支え、さらに親類の面倒も見ながら2男3女を生み育てた母・房子も気苦労は多く、加えて人の困窮を座視できない性格ゆえ、つねに忙しく家を留守にしがちでした。

 ※詳細は2021年5月号本誌にて。

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